SUPER EIGHTの大倉忠義(39)と、あの人気居酒屋チェーン「鳥貴族」の創業者である父・大倉忠司氏が、ついに親子初共演を果たしました。4月21日に都内で開催された「鳥貴族40周年記念コラボ企画発表会」で、互いに複雑な思いを抱えながらも、親子の絆を感じさせる姿を見せたのです。芸能界と外食産業という異なる道を歩んできた二人の知られざるストーリーに迫ります。
父と子、同じ年に誕生した夢
1985年は大倉家にとって特別な年でした。5月1日、当時25歳だった大倉忠司氏が大阪府東大阪市に鳥貴族1号店「俊徳店」をオープン。そしてその2週間後の5月16日に長男・忠義が誕生したのです。忠司氏は発表会で「(1号店が)できて2週間後に息子が生まれて。当時はずっと赤字で、息子の顔を見て『この子らを路頭に迷わせるのか』という思いがよみがえってきます」と当時を振り返りました。
忠司氏の創業期は決して平坦ではありませんでした。両親の家を担保に借金をし、わずか9坪27席の小さな店からのスタート。開店後は売上不振が続き、倒産の危機に直面します。「このままだと両親の家は銀行に取られ、家族も路頭に迷う…」と追い詰められ、ご飯も喉を通らないほどだったといいます。
そんな窮地から彼を救ったのは、現在の鳥貴族の代名詞でもある「均一価格」という革新的なビジネスモデル。当時は250円均一(現在は370円)でした。この「安売り」が功を奏して倒産の危機を脱し、その後、2003年には大阪の繁華街・道頓堀への出店を果たします。これをきっかけに全国展開へと躍進し、現在では657店舗を超える一大チェーンに成長しました。
芸能界で活躍する息子・大倉忠義の道のり
一方、息子の大倉忠義は芸能の道を歩みます。1997年にジャニーズ事務所に入所し、2002年にはのちのSUPER EIGHT(当時は関ジャニ∞)の前身となるV.WESTにドラマーとして加入。しかし、芸能界での道のりは決して平坦ではありませんでした。
ジュニア時代、仕事が少なく大学進学を考えた際、忠司氏は「あきらめるな。今あきらめると人生全部あきらめられることになっていっちゃうから、気の済むまでやれ」と息子を励ましたといいます。その言葉が大倉忠義の支えとなり、現在はドラムを担当するミュージシャンとして、俳優としても活躍する人気タレントに成長しました。
今年2月には一般女性との結婚と、お相手の妊娠も発表し、プライベートでも新たなステージへと進んでいます。SUPER EIGHTの現役メンバーでは初の既婚者となり、歴代メンバーでは渋谷に続き2人目の既婚者となりました。
知られざる親子エピソード
大倉忠義と父・忠司氏の間には、これまであまり公にされてこなかった興味深いエピソードがあります。
小遣いについて尋ねられた大倉忠義は「ジャニーズJr.になった当初から貰わず、新聞配達のほか、父に『地元のコンビニで一番安い時給を調べて来い』と言われ、同じ金額で父の事務所の顧客登録のアルバイトをしていた」と明かしています。このエピソードからは、芸能界にいながらも地に足をつけて生きることを教えられた家庭環境がうかがえます。
また、長男として「鳥貴族」を継ぐのではないかという質問に対しては「昔から『継がせない』と言われてた。(当時は)『店舗で言われても…』って思ってたんです。『焼き鳥屋になりたないし』と思ったけどなんで継がせてくれへんかったんやろ」と苦笑しながら答えています。
その理由について忠司氏は「だいたい息子に継いでいくと会社って衰退していくって話を」と説明し、大倉兄弟は誰も家業を継いでいないとのこと。「そんな暇ないんでやらないですけど」と大倉忠義もきっぱり否定しています。
40周年記念コラボで実現した親子の初共演
今回の「鳥貴族40周年記念コラボ企画発表会」では、忠司氏が赤いネクタイ姿で登場し「息子とは初のコラボで、新鮮な気持ちや複雑な気持ち、いろんな気持ちが入り混ざっています」と率直な心境を語りました。
一方、父親譲りの顔立ちが際立つ大倉忠義はオリーブ色のスーツで登壇。「自分のタレント業を支えてもらいながらも、自分が所属している会社の名前で有名になりたくないという父親の言葉を以前に聞いて、僕も(社名を)言わなかった。僕も大きくなり、こうして声をかけてもらい、自分自身も40歳になる年に、鳥貴族に関わることができてうれしい」としみじみと語りました。
コラボ企画では、1号店である俊徳店の期間限定復活に加え、互いに自然体な親子対談動画や、大倉忠義が監修した限定メニューの発売が発表されました。特に注目は、SUPER EIGHTのグループ名にちなんだ8本入りの「串ナゲットグリーン」。このボリューム商品について忠司社長は「売れば売るほど赤字になる。初めて(息子に)怒りを覚えた」と冗談交じりに話し、大倉忠義も「自分も若い時は、どれだけ安く飲めるかということが大事だった。トリキの常連さんにも認めてほしい商品です」と意気込みを語りました。
大倉忠司が実践する「トリキの哲学」
鳥貴族が多くの消費者に支持される理由は、単なる安売りではなく、低価格ながら高品質の商品を提供することにあります。メインの焼き鳥はもちろん、フードメニューで使用する食材は全て国産を使用し、ビールなども例外なく均一価格で提供する姿勢は創業以来変わっていません。
忠司氏は店舗で見かける「うぬぼれ中」という不思議な看板についても語っています。これは単に”利益”だけを追求するのではなく、ある使命と目的を実現させるために会社を経営してきたという彼の経営哲学の表れだといいます。
また忠司氏自身が鳥貴族に行った際の楽しみ方も興味深いものです。最初に「プレミアム・モルツ」を注文し、「塩だれキューリ」「味付煮玉子」「キャベツ盛」というスピードメニューをビールのお供に選び、その後「もも貴族焼(たれ)」と「ハート(たれ)」という焼き鳥を注文するそうです。興味深いのは「タレの味は、店舗で違いがあり、正直、売り上げの低い店ほどタレが美味しい」という指摘。忙しい店は頻繁にタレを継ぎ足さなければならないため、じっくりと時間をかけて味が出る小型店の方が美味しいという見解を示しています。
親子で共通する「あきらめない精神」
大倉父子には「あきらめない精神」という共通点があります。忠司氏は倒産の危機に直面しても均一価格という新たなビジネスモデルを生み出し、ピンチをチャンスに変えました。
息子の忠義も芸能界での苦難を乗り越えてきました。特に関ジャニ8(後の関ジャニ∞)に加入した当初は、ファンからの認知度も低く、2003年の舞台『DOUTON BOYS』では他のメンバーが登場する時は拍手で湧いていた会場が、大倉の登場で一気に静まり返ってしまったこともあったといいます。
そんな経験から「とにかく1人でもお客さんに見てもらえるようにならなくちゃ」と自分のキャラについて真剣に考えるようになったという大倉忠義。しかし、どんなに模索しても自分のキャラが見つからなかった時に、ファンから「大倉くんは大倉くんのままで良いと思います」という手紙をもらい、「俺は俺でええんや」と気づいたというエピソードは感動的です。
現在の大倉忠義の活躍は、そんな試行錯誤と「あきらめない精神」の賜物なのでしょう。
互いを尊重する親子関係の模範
大倉忠義の芸能活動について、忠司氏は「夢を追いかける仕事という意味ではすごく応援してくれました」と話しています。「ただ辞めるというのはいうなと。お父さんも夢を追いかけてるから応援するし、というスタンス」という父親の姿勢は、子供の自主性を尊重しながらも見守る理想的な親子関係を感じさせます。
今回の40周年記念コラボを通じて、これまであまり表に出てこなかった大倉親子の絆が垣間見える貴重な機会となりました。互いに異なる道を歩みながらも、尊敬し合い、支え合う親子の姿は多くの人に感動を与えているのではないでしょうか。
居酒屋チェーン「鳥貴族」と人気アイドルグループSUPER EIGHTという、一見異なる世界を生きる二人ですが、その根底にある「夢を追い続ける」という姿勢は共通しています。これからも大倉親子の活躍から目が離せません。