菅沼菜々プロ 涙の復活優勝 広場恐怖症と歩んだ再起の舞台裏

 2025年5月4日、千葉・浜野ゴルフクラブで開催されたパナソニックオープンレディースゴルフトーナメントで、菅沼菜々プロが通算10アンダーで見事な復活優勝を果たしました。2023年10月のマスターズGCレディース以来、約1年7か月ぶりとなるツアー3勝目。その裏には、彼女が長年苦しんできた「広場恐怖症」との闘い、そしてゴルフ人生のどん底から這い上がった数々のエピソードがありました。

広場恐怖症  プロゴルファーにとって致命的なハンデ

 菅沼プロが広場恐怖症を公表したのはプロ3年目、20歳のときでした。高校2年の冬、電車内で突然強い不安感に襲われ、感情のコントロールができなくなったことが発症のきっかけ。以降、公共交通機関や自力で外出できない状況でパニック発作が起きるようになり、電車や飛行機、バス、船などを使った移動が困難になりました。

プロゴルファーは全国を転戦しなければならず、移動が必須。しかし、広場恐怖症のため沖縄や北海道など遠方の大会には出場できず、長距離移動は家族やマネージャーの車に頼るしかありませんでした。薬による治療もドーピング規定で制限され、カウンセリングや独自の方法で症状と向き合い続けてきました。

 2024年シーズンはスランプに苦しみ、メルセデス・ランキング79位でシード権を失い、最終QT(ツアー予選会)でも102位と大きく出遅れました。ゴルフ人生のどん底を味わい、1か月半ゴルフから離れる決断もしました。

しかし、その間に「このままでは終われない」と自身を奮い立たせ、症状改善のためにバス移動に挑戦。これまで避けていた公共交通機関に乗ることで、「少しずつ症状が良くなっている」と感じられるようになったのです。

復活優勝の陰に家族と仲間の支え

 パナソニックオープンレディース2025は、QTランキング102位から主催者推薦での出場。2日目には66(6アンダー)で首位タイに浮上し、最終日は5バーディ・2ボギーの69で回り、2位に1打差で優勝を決めました。

菅沼プロの移動は、父親やマネージャーが車を運転してサポート。長距離移動の苦労を知るファンや関係者からも、温かい応援の声が寄せられています。

また、復活優勝の直後にはSNSやLINEで2000件以上の祝福メッセージが届き、「すごくありがたかった」と涙ながらに語りました。母の日には毎年高級トマトを贈るなど、家族への感謝も忘れません。

コーチや仲間との裏話・エピソード

 菅沼プロは「ゴルフ界のアイドル」と呼ばれ、明るく天真爛漫なキャラクターが人気です。コーチや仲間とのやりとりも微笑ましいエピソードが多く、例えば堀琴音プロとの間では「ブライトナーなんで?」という謎の合言葉がやりとりされていたことが話題に。

また、キャディーの梅原敦さんは「パットとアプローチの技術は天才的。ショットが安定すれば必ず上位に来る」と太鼓判を押していました。2024年には人生初のホールインワンも達成し、SNSで「やったやったーーー!」と喜びを爆発させるなど、周囲を明るくする存在です。

「誰かに勇気や希望を」――涙のスピーチ

 復活優勝後のインタビューで、菅沼プロは「昨年は本当に苦しかった。復活できたことが信じられない。応援してくれた皆さんに心から感謝しています」と涙ながらにコメント。「自分の経験が、同じ悩みを持つ誰かの勇気や希望になれば」と語り、会場は大きな拍手に包まれました。

まとめ:苦難を越えて、再び輝く

 広場恐怖症という大きなハンデを抱えながらも、家族や仲間、ファンの支えを力に変え、どん底から這い上がった菅沼菜々プロ。彼女の復活優勝は、単なるスポーツの勝利を超え、困難に立ち向かうすべての人に勇気を与える感動のドラマとなりました。

今後も「ゴルフ界のアイドル」として、そして一人のアスリートとして、菅沼菜々プロの挑戦は続きます。彼女の歩みが、同じ悩みを持つ人々の希望の光となることを願ってやみません。

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