パリ五輪柔道女子48kg級で見事に金メダルを獲得し、日本中を沸かせた角田夏実選手(32歳)。巴投げを武器に世界選手権3連覇を達成した彼女ですが、実は学生時代、「絶対に勝てない相手」と恐れていたライバルがいました。その人物こそ、小学生時代には角田選手に30秒で一本勝ちした”天才”染宮杏子さん。今回は、角田選手が「本当に強かった」と今でも敬意を表する染宮さんの知られざるストーリーに迫ります。
「泣き虫なっちゃん」と「そめみん」の出会い
角田選手と染宮さんの出会いは小学生時代にさかのぼります。幼い頃に八千代警察署の道場で柔道を始めた角田選手と、千葉四街道警察の道場・警和会に所属していた染宮さんは、警察署内の道場つながりで何度か対戦しています。
当時の染宮さんの角田選手に対する印象は「泣き虫なっちゃん」。「負けたら必ず泣いていたので、そのイメージが強かった」と染宮さんは振り返ります。しかし、お互いをよく知らない頃から道場で会うたびに笑顔で会釈してくれる角田選手の人柄に惹かれ、二人は次第に親しくなっていきました。
小学生時代、角田選手と染宮さんは3、4度対戦していますが、いずれも30秒以内で内股または大外刈りで染宮さんが勝利を収めています。角田選手自身も「まったく敵わなかった」と認めるほど、当時の染宮さんの実力は圧倒的でした。
天才少女の実力と挫折
染宮さんは小学生時代、出場した試合であれば性別も体重差も関係なく勝ちに行き、無双状態だったといいます。その才能は周囲からも認められ、「天才」と称されるほどでした。
しかし、中学時代に左膝の前十字じん帯断裂という大怪我を負います。元プロ野球選手の父の言葉を支えにリハビリに励みましたが、高校入学後の半年間もリハビリに費やすことになりました。さらに、高校2年の春には左肩を脱臼する怪我も追い打ちをかけます。
「練習していたら完全に外れてしまって……。その時は先生に(肩を)入れてもらって応急処置したんですが、自分の柔道スタイルとの相性が悪かったのか、その後も組手のときに横にスライドするたびに簡単に亜脱臼してしまって。ひどいときには一日練習していると5、6回外れることも当たり前になっていました」
強力なテーピングと入念な対策をしても肩が外れる状況が続き、染宮さんは次第に精神的にも追い詰められていったのです。
唯一の公式戦での対決
興味深いことに、角田選手と染宮さんは階級が異なっていたため、公式戦で対戦することはほとんどありませんでした。唯一の例外は高校3年時の関東高等学校柔道大会千葉県予選会決勝戦。染宮さんが千葉明徳高校、角田選手が八千代高校の中堅として対戦し、染宮さんが勝利して千葉明徳は悲願の初制覇を果たしました。
「(当時)八千代とうちでは実力も知名度も全然違った。最後の最後に八千代と肩を並べられるところまできて、かつ、個人としても全国で表彰台を狙える実力を持っていた彼女と対戦できることになって素直にうれしかったですね。感慨深いものがありました。そして、これがもしかしたら最後の対戦になるかもしれない……そんな思いも抱きながら戦っていました」
この言葉からは、既に柔道の継続に迷いを抱えていた染宮さんの複雑な胸中が伺えます。
柔道から離れる決断
高校卒業後も柔道を続けることは既定路線と思われていましたが、染宮さんの心には迷いがありました。幼い頃から抱いていた「オリンピックで金メダルを獲る」という目標にブレが生じ始めていたのです。
決定的だったのは、かつて「相手にしていなかった」角田選手が急速に力をつけ、脅威の存在になってきたことでした。自身の怪我の状況も踏まえ、染宮さんは柔道から離れる決断をします。高校卒業後は動物看護師の専門学校に進学し、「卒業してから二度と柔道には関わらない」と決めていたといいます。
ここに、天才と呼ばれた少女の苦悩が見えます。本来なら輝かしい柔道キャリアを築いていたであろう彼女が、なぜ柔道から離れなければならなかったのか。その背景には、繰り返される怪我の苦しみと、かつての「泣き虫なっちゃん」が世界で戦えるレベルにまで成長していく姿を目の当たりにした複雑な心境があったのでしょう。
12年ぶりの再会とパリ五輪の影響
角田選手と染宮さんは、12年の歳月を経て再会しました。その間、角田選手は世界選手権3連覇を達成し、パリ五輪では見事に金メダルを獲得。一方、染宮さんは柔道から離れた生活を送っていました。
しかし、かつてのライバルであり友人でもある角田選手のパリ五輪での金メダル獲得が、染宮さんの人生を再び変えることになります。この偉業をきっかけに、染宮さんは柔道コーチとして道場に戻ることを決意したのです。
「卒業してから二度と柔道には関わらない」と固く決めていた彼女が、なぜ柔道指導者の道を選んだのか。そこには角田選手の活躍が大きな影響を与えていたことは間違いありません。かつて共に畳の上で汗を流した友の姿が、彼女の心に再び柔道への情熱を呼び覚ましたのでしょう。
「なっちゃん」と「そめみん」の絆が紡ぐ未来
現在、染宮さんは子どもたちに柔道を教える指導者として新たな一歩を踏み出しています。一方の角田選手は、ケガのリハビリに励みながらも、2025年4月の体重無差別の全日本女子選手権への出場を目指しています。
両者の道は一度は分かれましたが、柔道という共通項で再び繋がっています。角田選手が世界の頂点を極めた今でも「本当に強かった」と言及する染宮さんの才能は、次世代の子どもたちに受け継がれていくことでしょう。
かつて小さな道場で出会った「泣き虫なっちゃん」と「そめみん」の物語は、挫折や葛藤を経ながらも、それぞれの形で柔道に貢献する感動的なストーリーへと発展しています。角田選手の金メダルという輝かしい成功と、染宮さんの柔道への回帰。二人の歩みは、諦めない心と友情の大切さを私たちに教えてくれています。
どんなに才能があっても挫折は訪れます。しかし、その後どう立ち上がるかが人生を決めるのかもしれません。角田選手と染宮さんの物語は、スポーツの世界だけでなく、私たち一人ひとりの人生にも深い示唆を与えてくれる、まさに「消えた天才」と「輝く金メダリスト」の感動的な実話なのです。