広島カープの黄金時代を支えた左腕・大野豊投手(69)は、単なる名選手を超えて「聖人」と称される特別な存在です。現役時代から引退後まで一貫して続くその人柄は、ファンだけでなくライバル選手や後輩たちをも魅了し続けています。なぜ彼が「野球界の聖人」と呼ばれるのか、知られざるエピソードで紐解いていきましょう。

銀行員からプロ野球へ~異色の経歴が生んだ謙虚さ~
大野豊の野球人生は常識破りなスタートを切ります。高校卒業後は地元・島根県の信用組合に就職し、昼は窓口業務、夕方からは軟式野球部でプレーする「銀行マン」でした。この時期に培われたのが「札勘」の技術です。札束を扇状に広げる動作が手首の柔軟性を養い、後に「7色の変化球」と呼ばれる多彩な球種の基盤となりました。当時を振り返り「硬式と軟式の違いに最初は戸惑ったが、逆に手首の使い方を学べた」と語る姿勢に、既にプロ意識の片鱗が見えます。
テスト生として広島入団した1977年、初登板で防御率135.00という不名誉な記録を残します。しかしこの挫折が「これ以上悪くなることはない」という逆転の発想を生み、後に昭和最後の沢村賞受賞(1988年)へと繋がる原動力となりました。
チームメイトを包み込む「おおちゃん」の優しさ
現役時代から大野の人間性を語るエピソードは枚挙に暇がありません。1998年の引退試合では、対戦相手の横浜ベイスターズ選手までもがマウンドに集まり、別れを惜しむ異例の光景が。当時のチームメイト・西山秀二捕手は「大野さんに怒られたことは一度もない。コーチが私を叱ると『俺に言え』と庇ってくれた」と証言しています。
2004年アテネ五輪で日本代表コーチを務めた際、若手選手への接し方が話題に。上原浩治投手(当時)は「指摘ではなく『こうしたらもっと良くなるかも』という提案の仕方。自尊心を傷つけず技術を伝えるのが上手かった」と回想します。この指導法は、銀行員時代に培った顧客対応の経験が活きていると関係者は分析しています。
ファンへの細やかな気配り~「聖人」の源泉~
大野のファンサービスは伝説的です。あるファンは「パチンコ店の警備員をしているが、会うたびに必ず声をかけてくれる」と感激。地元・出雲市では「子供たちが野球をしていると、車から手を振って挨拶してくれた」というエピソードが語り継がれています。
2018年のオリックス戦解説時、放送終了後すぐに退場するのが常套手段の中、大野だけはサイン要求に応じ続けました。この姿勢について「ファンの期待を裏切るのが嫌なんです。1人でも多くの人に喜んで帰ってもらいたい」と本人が語った言葉が残っています。
メジャーリーグ誘いを断った理由~広島愛の深さ~
1993年、38歳の大野にメジャーリーグ(エンゼルス)から年俸1億1100万円のオファーが届きます。しかし即座に拒否した理由は「カープのユニフォームを着て引退したい」という思いから。当時チームは低迷期にありましたが、「育ててくれた球団を見捨てられない」という心情を、後年「指が短くメジャー球を握れないという技術的理由もあった」と笑い交じりに明かしています。
このエピソードには意外な続きが。実は左手の小指が通常より短い「赤ちゃん指」だったことを2013年に初告白。にも関わらず140km/h超えの速球を投げ続けた事実に、ファンからは「逆境を乗り越える精神力こそ聖人たる所以」との声が上がりました。
引退後も続く「聖人」伝説~被災地支援から後輩指導まで~
現役引退後もその人柄は輝き続けています。2024年のチャリティオークションではサイン入りユニフォームを出品し、被災地支援に貢献。2018年には広島大水害の被災者を激励するため、自ら炊き出し部隊を組織しました。この時「現役時代と同じく、ファンの皆さんに元気を返す番です」と語った姿勢に、地元メディアは「まさにカープの顔」と称賛しました。
後輩指導においては、2025年現在も広島OB会長として若手投手の相談に乗っています。最近では大瀬良大地投手のスランプ脱出法を指南し、「おおちゃんに叱られるなら頑張れる」と選手本人がコメントするなど、絶大な信頼を維持。
「聖人」と呼ばれる真実~数字に表れない功績~
通算148勝138セーブの実績よりも、大野豊の真価は数字に表れない部分にあります。現役22年間で退場処分0、審判への暴言0、さらにチームメイトとのトラブルも皆無。2013年のファン投票で「最も一緒に飲みたいOB」1位に選ばれた際は「お酒弱いんですけどね」と照れ笑いする茶目っ気も。
野球解説者としての現在も、他球団ファンから「公平で勉強になる」との評価が多数寄せられます。2025年5月の番組でメジャーリーグ誘いの真相を明かした際、共演者が「49年間守り続けた秘密をさらりと話す潔さこそ聖人」と絶賛しました。
広島市内の居酒屋には今も「おおちゃん特製メニュー」が存在し、市民に愛され続けるレジェンド。大野豊が「聖人」と呼ばれる理由は、単に紳士的だからではなく、常に他人を思いやる姿勢を70年近く貫き通しているからでしょう。野球を通して人を幸せにする──その生き様こそが、数字を超えた真のレガシーなのです。