コナン映画も注目!日本の電波天文学を支えた野辺山宇宙電波観測所の知られざる物語

 最新の劇場版『名探偵コナン 隻眼の残像』では、山田孝之さんと山下美月さんがゲスト声優を務め、コナンと共に長野県の国立天文台野辺山宇宙電波観測所を訪れるシーンが描かれています。また、人気VTuberの星見まどかさんが同観測所の特別客員研究員に就任するなど、近年メディアでも注目を集めているこの施設。でも、実は日本の電波天文学の歴史を語る上で欠かせない重要な研究施設なんです。今回は、そんな野辺山宇宙電波観測所の知られざる歴史や裏話をご紹介します!

壮大な歴史を持つ日本の電波天文学の聖地

 野辺山宇宙電波観測所(正式名称:自然科学研究機構国立天文台 野辺山宇宙電波観測所、英語略称:NRO)は、長野県南佐久郡南牧村に位置する日本を代表する電波天文台です。地元では親しみを込めて「野辺山電波天文台」とも呼ばれています。

その歴史は意外と古く、1967年に天文研究連合委員会で45mを中心とする観測所計画が立案され、1969年に起工式が行われました。同年10月には野辺山太陽電波観測所が開所し、1982年3月に野辺山宇宙電波観測所が正式に開所しました。

なぜ野辺山が選ばれたのか?その意外な理由

 「どうして長野県の野辺山が選ばれたの?」と思われるかもしれません。実はここには電波天文学上の重要な理由があったんです。西を八ヶ岳山麓、東を秩父山地に囲まれているため、放送電波によるノイズが少ないという絶好の立地条件があったのです。当時はラジオやテレビの電波が観測の妨げになることが大きな問題でした。1980年代にはBCLブーム(放送を受信する趣味)もあり、電波環境の良さは極めて重要だったのです。

また、小海線などによるアクセスの良さも選定理由の一つでした。さらに、信州大学の実験農場などがあり、大学との連携も視野に入れた戦略的な選択だったのです。

世界が驚いた45mミリ波電波望遠鏡

 野辺山といえば、何といっても45mミリ波電波望遠鏡です。1981年に完成したこの望遠鏡は、波長が数ミリの電波(ミリ波)を観測する電波望遠鏡としては当時世界最大級でした。

特筆すべきは、この望遠鏡の精度です。鏡面誤差はわずか0.1ミリメートル。直径45メートルという巨大な鏡面でこの精度を実現したことは、当時の日本の技術力の高さを示す偉業でした。この望遠鏡は、観測開始から30年以上経った今日でも波長3ミリメートル近辺のミリ波の観測では世界最高性能の電波望遠鏡のひとつとして君臨しているのです。

驚きの研究成果!銀河の中心にブラックホールがある証拠を初めて発見

 45mミリ波電波望遠鏡による最も衝撃的な発見のひとつが、銀河の中心に巨大ブラックホールが存在することを初めて確認した研究です。M106銀河中心核からの高速水メーザ源を発見し、大質量ブラックホールの存在を確証しました。これは天文学の教科書を書き換える大発見でした!

また、L1551-IRS5などの原始星での高密度ガス円盤の発見や、多数の星間分子の発見など、宇宙の謎を解き明かす重要な成果を次々と生み出しています。

ユニークな観測所ツアーガイド――南牧村との素敵な協力関係

 知る人ぞ知る裏話として、2019年に野辺山観測所は財政難に対応するため、本館・共同利用宿舎を閉鎖するという厳しい状況に直面しました。しかし、この危機を乗り越えるため、同年3月に地元南牧村と協定書を結び、連携を強化したのです。

この協定により、村による観測所有料ガイドが始まり、守衛所横での観測所関連グッズの販売なども開始されました。これは、厳しい状況の中で生まれた観測所と地域の素晴らしい共生の形と言えるでしょう。

電波天文学者を育てた教育の場

 野辺山宇宙電波観測所は、研究だけでなく教育面でも大きな貢献をしてきました。特に45m鏡を使った修士・博士論文は、年々増加し、修士論文は年平均10本、博士論文は年3件程度のペースで執筆されてきました。

また、毎年実施されている45m鏡観測実習は、天文学に関心を持つ理科系の大学生を対象とした貴重な経験の場となっています。この実習を経験した学生の中から、後に電波天文学の分野に進み、研究者となった人も多いのです。まさに日本の電波天文学を支える人材育成の拠点となってきたわけです。

「長野県は宇宙県」のキャッチフレーズはここから始まった!

 意外と知られていないのが、「長野県は宇宙県」というキャッチフレーズの発祥が野辺山観測所だということです。2016年から長野県の天文や宇宙関係の団体や個人と共に、長野県の星空や観測環境を多くの人に伝える活動を開始しました。

この取り組みは、東大木曽観測所やJAXA臼田宇宙空間観測所などとも協力し、信州大学、長野高専、そして科学館やプラネタリウム、各地域の星の会とも連携するまでに発展しました。各施設をめぐるスタンプラリーなどのイベントや県内の夜空の暗さ測定といった活動は、全国的なアストロツーリズムの盛り上がりに一役買っているのです。

年間4万人が訪れる人気スポットの意外な始まり

 野辺山キャンパスの一般公開が始まったのは1982年のこと。現在では当たり前の研究機関の一般公開ですが、当時は多くの研究機関が非公開だったため、野辺山はPR活動の先駆けとなった施設なのです。

一般公開開始から累積した見学者数は、2013年10月に300万人に達し、現在でも年間4万人以上の方が見学に訪れる人気スポットになっています。特に「特別公開」は1983年から実施され、今年で37回目を数えるという長い歴史があります。地元南牧村の人口が2倍近くに膨れ上がるほどの大イベントなのです。

厳しい現実と未来への挑戦

 残念ながら、2022年3月には45mミリ波電波望遠鏡の共同利用が終了し、専用利用や有料観測に移行することとなりました。運営費が十分に確保できないという厳しい現実に直面しながらも、この貴重な観測施設を少しでも長く活用するための努力が続けられています。

2019年9月末には本館・共同利用宿舎が閉鎖され、所員は45m観測棟と機構展示室に移住。共同利用に関しても、旅費の支給を終了し、リモート観測基本の運用への変更、週末・年末年始・ゴールデンウイークの観測を終了、夜間サポートを終了するなど、厳しい状況の中での運営が続いています。

日本の電波天文学の「聖地」としての価値

 野辺山宇宙電波観測所は、アルマ望遠鏡計画の礎となるなど、日本の電波天文学の発展に大きく貢献してきました。「日本における多くの電波天文学者の生みの親となった観測所」と評されるように、ここから日本の電波天文学の歴史が築かれてきたのです。

観測所の創始者の1人である故・海部宣男元台長は「科学の成果を社会に知らせるのは、科学者の責務である」という言葉を残しています。この理念は今も野辺山での活動に息づいているのです。

コナン映画やVTuberとのコラボなど、新しい形での注目も集まる野辺山宇宙電波観測所。日本の電波天文学の過去と現在、そして未来をつなぐ貴重な存在として、これからもその価値を発信し続けてほしいと思います。機会があれば、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか?

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