2023年7月に公開され、第96回アカデミー賞長編アニメーション映画賞を受賞した宮崎駿監督の最新作『君たちはどう生きるか』。2025年5月2日には「金曜ロードショー」でテレビ初放送され、改めて注目を集めています。今回は、この作品の知られざる制作秘話や興味深いエピソードを紹介します。
7年の長い道のり:制作の舞台裏
宮崎駿監督の10年ぶりとなる長編作品『君たちはどう生きるか』は、2016年夏に企画書が書かれ、2017年8月に作画インがスタートしました。三鷹の森ジブリ美術館用の短編「毛虫のボロ」と同時並行で制作が始まり、新型コロナウイルスの感染拡大という予想外の事態にも遭遇しながら、「ともかく作り続ける毎日」を重ねた結果、足掛け7年という長い期間をかけて完成に至りました。
この製作期間について、宮崎駿監督は「よく最後までいけた」「終わらない作品じゃないかと思いました」と振り返っています。制作過程では、宮崎をはじめとする少数精鋭のアニメーターや美術スタッフが、紙に鉛筆と絵具で一枚一枚描き上げていくという、ジブリならではの手描きの伝統が守られました。
興味深いのは、今作では宮崎監督が全てのカットに手を入れるのではなく、絵コンテの制作に専念し、具体的な作画は作画監督の本田雄氏に一任していたという点です。鈴木敏夫プロデューサーによれば、それによって作品が「がぜん面白くなりました」とのこと。本田雄氏と宮崎駿監督のコラボレーションが、作品に新たな息吹を吹き込んだのでしょう。
「宣伝しない」という前代未聞の戦略
『君たちはどう生きるか』は、事前宣伝を廃し、ポスター1種のみの掲示という、近年では稀なマーケティング戦略を採用したことでも大きな話題となりました。公開前は声優も主題歌も予告編も一切発表せず、「まっさらな状態で映画を観て欲しい」という思いから情報をほとんど出さなかったのです。
この戦略について鈴木敏夫プロデューサーは「博打」と表現し、公開後には「博打を当てた感想は?」と問われて「当たりましたかね?」と余裕の表情を見せています。さらに「宮﨑作品の場合、ロングレンジなんです」と語り、初動だけでなく9月以降のシルバーウィークや年末までの興行成績こそが「作品の力」だと指摘しています。
実際に映画館に足を運んだ鑑賞者からは、この「情報公開一切なし」の戦略について、「先入観なしで観られる」ことを評価する声が多く上がっていました。SNSと口コミで広がっていく様子は、ジブリと宮崎駿監督の圧倒的なブランド力を改めて証明することになりました。
曲作りから見える宮崎駿と久石譲の関係性
映画の音楽を手がけたのは、言わずと知れた久石譲氏。2021年10月25日に行われた音楽の打ち合わせでは、宮崎監督が作品の内容やストーリーに関しては多くを語らず、代わりに自身の少年時代の話を久石氏に語ったというエピソードが残されています。
このとき久石氏は宮崎監督の言葉をひとつひとつ噛み締めながら、「今回は、オケ(オーケストラ)ではなく、ピアノ1本とか、シンプルに主人公の心に寄り添ってつくったほうが良いかもしれませんね」と提案。宮崎監督は「それが良いと思います」と笑顔で答えたといいます。こうして生まれた音楽は、観客からも「久石譲さんの音楽に癒されました」「音楽が良いんだよなぁほんとに」と高い評価を受けています。
また、主題歌「地球儀」を担当した米津玄師は、依頼を受けたのが公開の4年前だったと明かしています。「一番最初は驚愕すると同時に『何故自分なのか』と困惑しました」と語り、「5冊分にもなる重たい絵コンテを頂き、宮崎さんから説明を受け、恐る恐る作曲に取り掛かりました」とその過程を振り返っています。
キャラクターに隠された秘密
本作のキャラクターデザインにも興味深いエピソードがあります。作画監督を務めた本田雄氏は、夏子のキャラクターについて、宮崎駿のラフが1点しかなく、「かなりラフな感じで、ちゃんとしたものがなかった」と明かしています。本田氏は宮崎監督が参考にしていたというジョン・コナリーの小説『失われたものたちの本』を読み、その中の「割と精神不安定な感じで、ちょっときつめな印象」の女性をイメージして夏子の設定を描いたそうです。
また、制作期間が長かったことから、キャラクターの絵柄が途中で変わることもあったといいます。冒頭の駅のシーンから産屋のシーンまでは3〜4年の期間が空いていたため、絵が変わってしまったことを本田氏は「最初は度肝を抜かれました」と表現しています。
映画に登場する青サギ/サギ男については、「鈴木敏夫プロデューサーがモデルだ」という説があり、鈴木氏自身もそれを認めています。「サギ男と眞人が話すシーンが、僕と宮さんが喋ってる時と一緒なんですよ。話してる内容は違いますよ。でも、やり取りの雰囲気はまったく同じです」と語っています。
高畑勲の死と宮崎駿の心情
『君たちはどう生きるか』の制作過程で、宮崎駿監督に大きな影響を与えた出来事がありました。それは2018年に高畑勲監督が亡くなったことです。鈴木敏夫プロデューサーは「彼は宮崎にとって先輩であり仕事仲間、そして友達です。この作品を作る途中で高畑は亡くなり、それを引きずりながらこの作品を作っていたと思う」と明かしています。
宮崎監督自身は本作を「自伝ではない」としつつも「心の中にあったこと(物語)」だと表現しており、個人的な思いが込められた作品であることが伺えます。また、鈴木敏夫は本作を「宮崎駿の黙示録」とも表現し、「旧約聖書のような物語」と評しています。
アカデミー賞受賞と今後
『君たちはどう生きるか』は第96回アカデミー賞長編アニメーション映画部門を受賞しました。この受賞について鈴木敏夫プロデューサーは「オスカー像は3個注文しました!」とユーモアを交えながら喜びを表現。宮崎駿監督は「日本男児として喜ぶ姿を見せてはいけない」としながらも、どこかうれしそうだったといいます。
次回作については、鈴木プロデューサーは「(『君たちはどう生きるか』の)興行がひと段落しないと次に進むのは難しいですね。一旦、自分が抱えているものをすべて空っぽにしないと」と述べています。そして「常に最後の作品のつもりで作っている」という宮崎監督の姿勢を明かし、「宮崎も『たくさんの人に観てもらえるか』と今まで以上に心配していたんです。お客様が観に来なくなったときが、彼にとっての引き際ではないか」と語っています。
「生きる」というテーマへの探求
鈴木敏夫プロデューサーは、ジブリ作品のテーマが「Love(愛)」から「Philosophy(哲学)」へと変わったことを指摘しています。「生きるってなんなのか」がジブリのテーマとなり、『君たちはどう生きるか』もその延長線上にあると言えるでしょう。
宮崎駿監督は自身の映画製作を通じて、「生きるとはどういうことなのか」という問いを追求し続けています。『君たちはどう生きるか』は、そんな宮崎駿の思想と哲学が詰まった作品なのかもしれません。
テレビ初放送を終え、英語吹替版の日本語字幕付き上映など新たな形での公開も続く『君たちはどう生きるか』。7年の長い年月をかけて作られたこの作品には、まだまだ語り尽くせない物語と秘密が隠されているようです。