読売巨人軍9連覇の立役者 “炎のエース” 堀内恒夫選手の軌跡
読売巨人軍の黄金時代である1965年から1973年の9連覇。その中で、9番・ピッチャーとして圧倒的な投球を見せ、巨人軍のマウンドを守り続けたのが堀内恒夫選手です。勝負強いピッチングと強気な性格で、巨人軍のエースとして活躍しました。
堀内恒夫選手のプロフィール
- 生年月日: 1948年1月16日
- 出身地: 山梨県甲府市
- 出身校: 甲府商業高校
- ポジション: 投手
- 投打: 右投右打
- 通算成績: 203勝139敗、防御率3.27、奪三振1,865
高校時代の活躍
堀内選手は甲府商業高校時代から速球と鋭いカーブを武器に活躍し、高校球界屈指の投手として注目を集めました。特に県大会では圧倒的な投球を見せ、1963年の甲子園にも出場し巨人軍スカウトの目に留まりました。
巨人軍での役割と9連覇への貢献
堀内選手は1966年に読売巨人軍へ入団すると、すぐにその才能を発揮し、1年目からチームの中心投手として活躍しました。
- 新人王獲得 プロ1年目の1966年には16勝を挙げ、華々しく新人王に輝きました。ルーキーながらエース級の活躍を見せ、巨人軍の連覇体制を支える投手となりました。
- 安定した勝利数 1966年から1973年の9連覇の間、毎年二桁勝利を記録し、巨人のエースとして君臨しました。特に1972年には26勝9敗、防御率2.91という圧巻の成績を残しました。
- 強気なピッチングスタイル 堀内選手の特徴は、どんな打者にも臆することなく攻める強気な投球でした。インコースを果敢に突くスタイルは、打者にとって非常に厄介なものでした。
印象的なエピソード
- 1972年の日本シリーズでの快投 9連覇の終盤、1972年の日本シリーズでの活躍が特に印象的でした。このシリーズではエースとして堂々たる投球を披露し、巨人軍の優勝に貢献しました。
- 「悪太郎」の異名 強気な性格から「悪太郎」との異名を持ち、時には相手打者を挑発することもありました。しかし、その闘志あふれるプレースタイルはファンからも愛され、巨人軍の投手陣の中心として長年活躍しました。
- 自らホームランを放つ投手 打撃も上手く、投手では通算で21本塁打を記録。特に1967年10月10日の対広島戦(後楽園球場)ではノーヒットノーランを達成し、さらに自ら3打席連続本塁打を放っている。投手による3打席連続本塁打は史上唯一。これに関して本人は現役引退後、「4打席目にホームランを打てず(中前安打)ガッカリしてベンチに戻った際に、自分でも打撃に熱中していたことから、他の選手に言われるまでノーヒットノーランに気付いていなかった。『4打席連続本塁打の代わりにノーヒットノーランでいいや』『あーあ、しょうがねえ、じゃあノーヒットノーランでもやるか』と思った」と語っている。
引退後の活動
堀内選手は1983年に現役を引退。その後は野球解説者として活動し、2004年には巨人軍の監督にも就任しました。また、政界にも進出し、参議院議員を務めるなど、多方面で活躍しました。
まとめ
読売巨人軍9連覇の立役者の一人である堀内恒夫選手。炎のエースとして、強気な投球で巨人軍の黄金時代を支えました。
圧倒的な投球力と勝負強さ、さらには自らバットを振るう活躍ぶりは、まさに「攻める投手」の象徴でした。堀内選手の存在なくして、巨人軍の9連覇は語れません。