クレイトン・カーショーと黒田博樹。MLBを代表する二人の投手の間に育まれた友情は、単なるチームメイト以上の深い絆として今も続いています。2025年3月、ドジャースの東京遠征で実現した感動の再会シーンは、多くの野球ファンの胸を熱くしました。本記事では、14歳差の二人が育んだ友情の裏話と、その深い絆の秘密に迫ります。
「同じルーキー」から始まった特別な関係
2008年、ドジャースに二人のルーキーが加入しました。33歳で広島からメジャー移籍した黒田博樹と、高校を出たばかりの20歳の若きスーパー左腕クレイトン・カーショー。年齢差14歳の二人は、「メジャーのルーキー」という共通点から急速に親しくなりました。
「黒田は年上だったけど、”同じルーキー”だったから、いろいろ冗談とか言ったり、からかったりしていい時間を過ごした。高校出たての僕にもすごくよくしてくれて、素晴らしい人間だよ」とカーショーは語っています。
スプリングトレーニングでは黒田が先発すれば、カーショーが試合途中から投げるというセットで登板する機会が多く、ジョー・トーリ監督は二人の力を見ながら先発ローテーションを決めようとしていたようです。結果的に二人とも開幕ローテーション入りを果たし、その後4年間、常にキャッチボールのパートナーとして練習を共にしました。
キャッチボールから生まれた絆
カーショーと黒田の関係を象徴するのが、試合前の欠かさなかったキャッチボールの光景です。二人のキャッチボールは当時の日本でもたびたび話題になったほど。さらに黒田がブルペンに入る直前には、カーショーが捕手役になり、力の入った投球を座って受けるという特別な時間を共有していました。
時にはカーショーが黒田の投球を後ろからじっと見つめ、その球筋から何かを吸収しているような姿も見られました。野球の技術的なことをあまり知らなかった若きカーショーに、黒田は体力回復のために必要なルーティンを教えるなど、球場の内外で多くのことを伝授していったのです。
「サイヤング賞には黒田から学んだことがすべて詰まっている」
キャッチボールのパートナーとしてだけでなく、プライベートでも頻繁に食事を共にしたり、プレゼントを贈り合ったりするなど、二人は親友として絆を深めていきました。そんな中、カーショーは驚異的なスピードで成長。メジャー4年目の2011年には、最優秀防御率、最多勝、最多奪三振の投手3冠を獲得し、初のサイヤング賞を受賞するなど、一気にメジャーを代表する投手となりました。
この2011年のカーショーの才能の開花には、黒田の支援も大きく影響していたようです。当時のドジャースGMも「カーショーのサイヤング賞には黒田から学んだものがすべて詰まっている」と語り、球団としても黒田に感謝の気持ちを示していました。
涙の別れと広島への思い
2011年シーズン終了後、黒田はニューヨーク・ヤンキースへの移籍を決断します。その際、カーショーは「もう1年一緒にやりましょうよ」と涙を浮かべて引き止めたという話も伝わっています。
興味深いのは、黒田がヤンキースへの移籍を選んだ理由の一つに、「カーショーとは投手同士として対戦したくない」という思いがあり、同じリーグの移籍先を避けたという裏話もあります。
また、黒田は常に広島への思いを持ち続けていました。カーショーは「ヒロ(黒田)と僕はキャッチボールをしながら、いつも広島の話をしていました。彼は僕に大リーグを引退したら広島で野球をしたらいいと、いつも言ってくれてたんです」と明かしています。
カーショーは続けて「彼はずっと1年契約だったから、広島に帰るつもりだったと思います。こっちに残っても成功していたと思うけど、これでよかったんだと思います。広島は彼にとって一番大切な場所なんですから」と語り、黒田の広島への深い愛情を理解していました。
14年越しの日本での感動の再会
2025年3月、ドジャースの東京遠征で二人は感動の再会を果たしました。カーショーは昨年11月に左膝と左足親指の手術を受け、復帰は6月以降とされており、ドジャースの東京遠征メンバーには入っていませんでした。しかし「一生に一度の経験だから。この旅の代わりになるものなんか絶対にないから」と、自身と夫人、そして子供4人の渡航費を自己負担して来日したのです。
東京ドームでは解説を務めていた黒田と再会し、「黒田は本当に僕によくしてくれた。去年かな、会ったぶりだったけど、日本で会えて本当にうれしかった」と語りました。黒田も試合前にブルペンを訪れ、カーショーが投げる姿を見て「まさか日本でこういう形で会えるとは」と感慨深く語りました。
黒田は再会の際、カーショーにグローブをプレゼントし、「今度は私がそちらにだね」と次はアメリカで再会することを誓ったそうです。
カーショーが明かす黒田との特別な絆
カーショーが黒田に見出した魅力はなんだったのでしょうか。「日本人に似ている」と黒田が語るカーショーは、若い時から向上心があり、先進的なことにチャレンジしていく精神の持ち主でした。
2011年には21勝を挙げ、若くしてドジャースのエースと見られるようになりましたが、黒田は「そうなると、自分の能力を過大評価してもおかしくないわけです」と語ります。しかし「カーショーにはいつも危機感があって、それと同時に好奇心や、貪欲さがあった」と、その謙虚さと向上心を高く評価しています。
デビュー当時は100マイル近いフォーシームとカーブを中心としたスタイルでしたが、黒田によれば、カーショーは常に球種を増やすことに貪欲だったそうです。
尊敬し合う二人の永続的な友情
カーショーの人間性に感銘を受けた黒田のエピソードも残されています。ある時カーショーが見せた人間味あふれるエピソードに、黒田は「カーショーのように尊敬される人間にならないと」と思わされたといいます。
黒田が日米通算200勝を達成して引退した後も、カーショーは「本当に素晴らしいキャリアだったし、いずれまた会いたい」と語っていました。
2025年の再会で、二人の師弟愛は国境と時間を超えて、なお深く続いていることが証明されました。黒田とカーショーの物語は、単なるプロ野球選手の交流を超え、真の友情と尊敬の物語として、野球ファンの心に刻まれ続けることでしょう。