読売巨人軍9連覇の立役者 “世界のホームラン王” 王貞治選手の軌跡
読売巨人軍の黄金期である1965年から1973年の9連覇。その偉業の中心に立ち続けたのが、3番・ファーストの王貞治選手でした。驚異的な長打力と確実性を兼ね備えた打撃で、チームを支え続けた王選手の功績を振り返ります。
王貞治選手のプロフィール
- 生年月日: 1940年5月20日
- 出身地: 東京都
- 出身校: 早稲田実業学校高等部
- ポジション: 一塁手
- 投打: 左投左打
- 通算本塁打数: 868本(世界記録)
早稲田実業時代の活躍
王選手は早稲田実業学校高等部時代に甲子園へ出場し、1957年の春の甲子園では優勝を果たしました。この大会では、投手としても活躍し、準決勝まで3試合連続完封を達成し、決勝戦では高知商業に5対3の完投勝利を収めました。特に鋭いカーブが武器で、全国の高校野球ファンを魅了しました。
その後、打者としての才能が開花し、巨人入団後は長打力を活かしたプレースタイルに転向。一本足打法を確立し、プロ野球史に名を刻むことになります。
巨人軍での役割と9連覇への貢献
王選手は、読売巨人軍9連覇の中心選手として圧倒的な成績を残しました。
- 驚異的な本塁打数 王選手は9連覇の期間中に数々の本塁打記録を打ち立て、年間50本以上のホームランを放つシーズンもありました。特に1973年にはシーズン51本塁打を記録し、球界を代表するスラッガーとして君臨しました。
- 一本足打法の確立 荒川博コーチの指導のもと、一本足打法を完成させたことで打撃の精度が向上。どんな投手にも対応できる柔軟なフォームで、安定した成績を維持しました。
- 日本シリーズでの活躍 9連覇中の日本シリーズでは、王選手の勝負強いバッティングが何度も光りました。特に1971年のシリーズでは、決勝打を放つなど、巨人軍の勝利に大きく貢献しました。
あまり知られていないエピソード
- 苦難の一本足打法確立 王選手はプロ入り当初、「王、王,三振王」とやじられるなど打撃に苦しみ続けました。そんな中、荒川博コーチの指導により、一本足打法を確立。最初は戸惑いながらも、試行錯誤を重ね、結果として世界的なバッターへと成長しました。
- 王選手の日本国籍取得 王選手は台湾人の父と日本人の母の間に生まれました。長らく中華民国籍でしたが、帰化の意思を持ち、日本国籍を取得。その後、日本を代表する野球選手として世界で活躍しました。
- ライバル 王選手とライバル関係にあったのが阪神タイガースの江夏豊投手です。王が最も三振を奪われた投手は最大のライバル江夏からであるが、その江夏が最も本塁打を打たれた打者は王である。そして約250回の対戦で死球はたったの1回だけであり、関係者から指摘されるまで、お互いに死球はゼロだと思っていた。王は江夏について「『こいつは絶対に抑えてやる』『こいつから絶対に打ってやる』とお互いに強い意識を持った相手という意味で最高のライバルだったんじゃないかな」と語っている。
伝説的な記録と記念試合
- 1964年の55本塁打記録 9連覇の前年となる1964年に、シーズン55本塁打という当時の日本記録を樹立。この記録は長らく破られることがなく、日本球界の象徴的な数字となりました。
- 1977年の通算756号本塁打達成を経て、1980年には通算868本塁打という世界記録を樹立 9連覇後も活躍を続け、1977年にはベーブ・ルースの記録を抜く通算756号本塁打を達成。世界のホームラン王として、名実ともに歴史に名を刻みました。
引退後の活動
王選手は1980年に現役を引退。その後は指導者として福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)の監督を務め、日本一を達成しました。また、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)では日本代表監督として初代王者に導き、世界の野球界にその名を轟かせました。
まとめ
王貞治選手は、読売巨人軍9連覇の中心選手として、驚異的な打撃力でチームを牽引しました。その功績は日本球界のみならず、世界の野球界に多大な影響を与えました。一本足打法による確実性の高いバッティング、圧倒的な本塁打数、そして勝負強さが、王選手を”世界のホームラン王”たらしめた要因です。
彼のような選手がいたからこそ、巨人軍は9連覇という偉業を成し遂げることができたのです。